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【福島県いわき市】いわき市石炭・化石館「ほるる」

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🌟令和6年4月25日(木)いわき市石炭・化石館の一部再開おめでとうございます ❗ いわき市石炭・化石館 ほるる ※画像は2006年当時のものです ワンデさん 2006年、福島県いわき市にある「いわき市石炭・化石館」通称「ほるる」に行ってきました。地球の歴史を刻んだ化石と、かつて栄えた石炭産業の歴史が息づく博物館です。   1. いわき市石炭・化石館「ほるる」とは 1-1. 「ほるる」の現在 「ほるる」 は、福島県いわき市に位置する 「いわき市石炭・化石館」 の愛称です。 この施設は、いわき市の豊かな地質学的歴史と、かつて栄えた石炭産業の歴史を伝えるために設立されました。 令和4年3月16日に発生した福島県沖地震により堅抗櫓に被害を受けて休館していましたが、工事の進捗により今年、 令和6年4月25日から施設の一部を再開! ※屋内遊び場「いわきっずもりもり」は令和6年10月31日再開予定とのこと。 1-2. 「ほるる」はどんな施設? 「ほるる」は、福島県いわき市が 石炭の町として栄えた当時の資料 と、 いわき市内で発掘された動植物の化石、世界の化石資料 を併せて展示している施設です。 複合展示施設のため博物館法外の施設ではありますが、学術的な展示を見たい方にも、もっとゆるく観光として楽しみたい方にも、どちらにも対応できる興味深い施設です。 2. 「ほるる」の見どころ 2-1. ロビーエントランスのフタバサウルス・スズキイ エントランスに入ったところには、 いわき市で発見された日本を代表する化石、フタバサウルス・スズキイ の全身復元骨格が展示されています。その大きさと迫力に驚くことでしょう。 1968年(昭和43年)に地元いわき市の高校2年生、鈴木直氏によって発見されたこの化石は、1体のクビナガリュウの全身のうち約70%の骨が採集されました。環太平洋地域でここまでまとまった形で発見されることは珍しく、世界的に見ても貴重な化石です。 「フタバサウルス・スズキイ」という名前は、化石が発見された地層名の『双葉層群』と、発見者である『鈴木直』氏の姓からつけられたものです。 筆者である私の世代では 「フタバスズキリュウ」 という名の方が馴染みがありますが、その後の研究によって既存の種とは異なる特徴があるということがわかり、発見から

【茨城県稲敷郡】木原城趾公園

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木原城趾公園 ワンデさん 2024年4月、茨城県稲敷郡美浦村にある「木原城趾公園」を訪れました。その歴史も長く、さらにはたくさんのチューリップと八重桜が咲き誇る美しい公園でした。   1. 木原城址公園とは 1-1. 歴史的な遺産としての位置づけ  木原城趾公園は、茨城県稲敷郡美浦村に位置する歴史的な遺跡です。 この公園は、かつて木原城、または神越城として知られた城址を保護・保存しています。歴史的な意義を持つ場所として、多くの観光客や歴史愛好者が訪れています。  土岐市の家臣である近藤氏の居城とされますが、築城については直接的な史料が極めて少なく、不明な点も多いミステリアスな魅力もある史跡です。 1-2. 城址の特徴と標高の変化  木原城址公園にある案内板 木原城趾は、標高の変化によって特徴づけられています。 城址は丘陵地に位置しており、展望台からは周囲の風景を一望できます。面白いことに三の丸、二の丸、本丸と中心的部分に向かうにつれて標高が低くなるという特徴があります。また、城址の地形や遺構は、築城当時の様子を想像させる貴重な資料となっています。 公園の入り口は左右がこのように深くなっています。堀の跡でしょうか。 また木原城趾は、日本最大の湖である霞ヶ浦の南岸に位置しています。 霞ヶ浦が現在の形になったのは、江戸時代の利根川東遷以降、河川由来の土砂が流れ込んできた以降のものであり、かつては今よりも大きな湖でした。 今から1000年ほど前には『香取海』と呼ばれ、海水も流れ込むほどの大きな内海でしたので、築城当時はまだその名残も残っており、この地域は水運も大いに利用されて栄えたのだろうと考えられます。 これも城址の位置が戦略的に選ばれた理由の一つだったのではないでしょうか。  1-3. 発掘調査の成果  木原城址公園案内板 近年、木原城趾の発掘調査が行われ、城址から多くの遺物や遺構が発見されています。これらの成果は、歴史研究や教育に貢献しています。 花壇の通路にある案内板 木原城址公園内の案内板によると、弥生~古墳時代の環濠がもととも存在していたところ、室町時代にさらにそれに交わる形で古い堀、新しい堀が造られたとのこと。 どうやらチューリップ畑の間にあるこの位置がそれにあたるよう。 まったく知らずに弥生~古墳、室町の遺跡の上を歩いてました… 2. 木原城址公

【茨城県北茨城市】五浦海岸と六角堂、岡倉天心旧宅(東日本大震災前の記録画像)

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五浦海岸と六角堂 ワンデさん 2006年秋頃に、 五浦海岸の六角堂 を訪れました。美しい景観、歴史ある建造物を眺め、そして日本の伝統美術を保護し発展のために力を尽くした 岡倉天心 に思いをはせました。   1. 五浦海岸と六角堂の魅力 1-1. 五浦海岸の風景 五浦海岸は大小の入り江が連なり、太平洋に少し突き出たような地形となっています。 岩場が多く、絶壁となっている箇所もあり、太平洋側の穏やかな波を想像していると、思いがけなく荒々しい波の強さに驚かされます。 その波に削られた地形が美しくも自然の力強さを思わせる風景を生み出しています。 晴天曇天にかかわらず、岩場や洞窟などフォトジェニックな光景を楽しむこともできますので、写真を趣味にしている方にとっても魅力的なスポットなのではないでしょうか。 とは言えども、海のすぐそばの岩場は雨天時など濡れていると滑りやすくなっていることもあります。足元にはお気をつけて散策を! 1-2. 六角堂 ※2011年の東日本大震災時に六角堂は津波によって消失しました。 現在は再建されておりますが、当ページの 六角堂の画像は2006年当時のもの です。 美しい散策路のような小道を海に向かっておりてゆくと、赤く小さく美しい木造の建物が目に飛び込んできます。 こちらが、岡倉天心が設計し1902年に建てられた「六角堂」です。 日本の伝統的な建築様式に西洋の要素を組み入れて、独創的で芸術的な姿となっています。 ※画像は2006年当時のものです。 窓からは崖や木々、あるいは海の景色を一望できる佇まい。 灰色の岩と青い海、木々の緑の中に供えられたような赤がとてもシンボリック。 サイズとしては小さく、一般人である私からすると「堂」というよりも「庵」を思わせる大きさの建物ですが、この小さな空間をもとに、そこから世界へと広がってゆく視点を感じさせてくれます。 天然自然の美しさ静けさとともに雄大さまで味わいながら、心ゆくまで思索に耽ることができる環境だったのではないかと思います。 ※画像は2006年当時のものです。 岡倉天心旧宅 ※画像は2006年当時のものです。   2. 岡倉天心と六角堂 2-1. 岡倉天心 岡倉天心(1863-1913)は六角堂を設計した思想家であり文人、文化人でもあります。 美

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